伊万里焼は1610年代に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に鍋島直茂が李参平を連れ帰り、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見したことからこの近辺で磁器製造が始まったとされ、佐賀県有田町を中心とする肥前国(現代の佐賀県および長崎県)で生産された磁器の総称で、この名は磁器の積出港の伊万里津(港)に由来しています。
尚、日本ではそれ以前は粘土で低火度で焼かれる陶器しか作られていなかったので、伊万里焼は日本初の国産磁器となります。
¥250,000
サイズ: 直径21.5cm 高さ:3.5cm
時代:1680‐1700年代
完品 数そろいます
生地はよく精製された上質のもので、呉須も藍柿に見られる質の良いものも使い女郎花と葦を描き、裏は野葡萄が描かれています。
呉須の濃淡を上手く使って遠近感をだし、輪郭を描かずに薄く描かれた所は技術力の高さを見られる珍しい技法です。
縁は緩やかに立ち上がり、高台は高く付けられ少し内傾していて、高台内に目跡は4点丁寧に付けられています。
余白のバランス、洗練された構図と技術の高い絵付けと整形から、この皿の生まれの良さを感じられる一品です。
在庫あり
伊万里焼は1610年代に豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に鍋島直茂が李参平を連れ帰り、有田の泉山で磁器の原料となる陶石を発見したことからこの近辺で磁器製造が始まったとされ、佐賀県有田町を中心とする肥前国(現代の佐賀県および長崎県)で生産された磁器の総称で、この名は磁器の積出港の伊万里津(港)に由来しています。
尚、日本ではそれ以前は粘土で低火度で焼かれる陶器しか作られていなかったので、伊万里焼は日本初の国産磁器となります。
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